「今日も患者さん・クライアントにとって最良の治療とマネジメントが提供できますように」
当院では、毎朝必ず朝礼でスタッフ一同、このように街の氏神である(と思っている)用賀神社に向かってお祈りしてから仕事を始めている。
余談ではあるが、「患者さん」と「クライアント」と名称を分けているのは、私にとって、症状を抱えて来院するのが「患者」、メンテナンス目的で来るのが「クライアント」と呼んでいるからである。
まず最初に断っておくが、私は特定の宗教団体には属していない。強いて言えば、実家は曹洞宗であり、私もその所属になるだろうが、恥ずかしながら修行どころかお参りもほとんどしていない。せいぜい墓参り程度である。
そんな自分ではあるが、以前もここで書いたように、この仕事を始めて以来、いわゆる「神の見えざる手」というものは存在すると信じている。神と呼ぶべきか、先天的叡智やユニバーサルインテリジェンスと呼ぶべきかは人それぞれだが、ここでは簡単に「神」とさせていただく。
この神の力を最大限に活用しようという、少々邪な考えが冒頭の朝礼の挨拶である。この挨拶には、以下のような意味が込められている。
私たち治療家は、臨床歴が長くなるほど、治療技術が向上する一方で、最良の選択をできなくなることがある。たとえば、治療家になりたての頃は、原因を突き止めるために試行錯誤し、時間をかけることで、間違った診断を避けることができる。しかし、臨床歴が増えるにつれて、過去の経験に基づき、診断手順が短縮され、速やかに診断を下すようになるが、その反面、誤診に気づかないことも多くなるのである。
このようなミスを防ぐために、神頼みがある。つまり、神の見えざる手によって、診断や治療の誤りを防いでいただくというわけである。ちなみに、治療だけでなく「マネジメント」もお願いしているのは、クライアントの来院回数や頻度を決める際、私利私欲が入らないように、また万が一入ってしまったとしても、見えざる手によって修正(予約の延期やキャンセル)が起こるように願っているからである。
さらに、自分の体調が悪く、最良の治療ができないと神が判断した場合には、キャンセルが起こるようにとも祈っている。時々、3~4件のキャンセルが重なると、
「今は自分の治療効果がベストではないのだな…精進しなければ」
と、未然に中途半端な施術を防げたことに感謝し、気を引き締める良い機会となるのである。
これこそ「スパケア式他力本願術」だと私は考えている。
*この記事のイメージ画像をChatGPTに作ってもらうと…凄いけどちょっと怖いw